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日航123便についての考察3:日航123便(JA8119)墜落事故の一つ前のフライトに偶然乗っていた運輸大臣:山下徳夫

目次

この事故についてすっごい不可解に思っていることがもう一つあります〜

ちなみにこれまでの考察です〜

事故当時の運輸大臣の行動がとっても怪しいです〜

山下 徳夫(やました とくお、1919年10月7日 – 2014年1月1日)とは、日本の元政治家。元衆議院議員自由民主党所属)。

来歴・人物

佐賀県伊万里市出身。山下徳次郎の長男として誕生。福岡中学校(現・福岡県立福岡高等学校)卒業後、明治大学専門部法科を経て、1944年専修大学法学部卒業。

父の徳次郎は1926年炭鉱向け材木店(現・ヤマシタ)を創業。大学卒業後の1947年佐賀県議会議員に初当選。1949年に父の家業である山下徳次郎商店の代表取締役に就任する。その後、日本杭木協会理事や全国木材協会理事、佐賀県木材協会会長を歴任し佐賀県議会にて議員4期・議長2選を経て、1969年、旧佐賀県全県区から第32回衆議院議員総選挙に立候補し、初当選(当選同期に小沢一郎羽田孜梶山静六奥田敬和林義郎渡部恒三綿貫民輔塩崎潤森喜朗村田敬次郎松永光江藤隆美中山正暉浜田幸一など)。連続当選は10回。自民党内では最小派閥の三木→河本派に所属した。

第2次中曽根内閣では運輸大臣として初入閣。大臣在任中の1985年8月12日三光汽船[注 1]が翌日会社更生法の適用を申請することを受けて地元の佐賀から急遽帰京し担当官庁の長として同社の対応をするために福岡羽田日本航空366便に搭乗し、17時過ぎに羽田に到着した。その機体JA8119番機は羽田到着後同123便として18時過ぎに大阪へ向かったが、その途上で単独機としては史上最悪の日本航空123便墜落事故が起きる[注 2][3][1]。事故後所管大臣として陣頭指揮にあたった山下は、生還した女児の123便搭乗券のコピーを持ち歩き、機会があれば知人に贈っていたという[1]

第3次中曽根内閣では在任中に死亡した玉置和郎の後任として総務庁長官に就任する。第1次海部内閣内閣官房長官に就任する。河本派の情報通で海部俊樹とのフロコミュニケーションを通じての「ツーといえばカーと仲だった」という[4]。40歳も年下の元愛人に口止め料を渡したという買春スキャンダルが発覚して在職期間16日間で辞任した。氏の手帳には日航客室乗務員の名前がずらりと書き込まれ、それを見た記者が客室乗務員の自宅に押しかけて大騒ぎになったこともあった[5]。その後、宮澤内閣厚生大臣に就任する。最小派閥ながら閣僚ポストに恵まれたのは、金丸信と親交が深く、経世会との連絡役を務めていたからという側面もあった。2000年に政界引退、自民党佐賀県連で顧問を務める。また、1988年より2003年まで学校法人専修大学理事長も務めた。

2014年1月1日午前1時30分、老衰のため佐賀県伊万里市の自宅で死去[6]。94歳没。叙正三位

経歴

  • 1969年12月 – 衆議院議員選挙に初当選
  • 1974年12月 – 厚生政務次官(三木内閣)
  • 1976年9月 – 通商産業政務次官(三木改造内閣)
  • 1984年11月 – 運輸大臣(第2次中曽根内閣)
  • 1987年1月 – 総務庁長官(第3次中曽根内閣)
  • 1988年11月 – 学校法人専修大学理事長
  • 1989年8月 – 内閣官房長官(第1次海部内閣)
  • 1990年2月 – 衆議院議院運営委員長
  • 1991年11月 – 厚生大臣(宮澤喜一内閣)
  • 2000年6月 – 政界引退
  • ^ 三光汽船は奇しくも自身の派閥のリーダーであった河本敏夫がオーナーを務めていた会社であった。^ 山下は1972年の日本航空ボンベイ空港誤認着陸事故にも遭遇して負傷し、1982年の日本航空350便墜落事故でも所用で1便遅れたことで搭乗を回避している[1][2]
https://ja.wikipedia.org/wiki/山下徳夫

第2次中曽根内閣では運輸大臣として初入閣。大臣在任中の1985年8月12日三光汽船[注 1]が翌日会社更生法の適用を申請することを受けて地元の佐賀から急遽帰京し担当官庁の長として同社の対応をするために福岡羽田日本航空366便に搭乗し、17時過ぎに羽田に到着した。その機体JA8119番機は羽田到着後同123便として18時過ぎに大阪へ向かったが、その途上で単独機としては史上最悪の日本航空123便墜落事故が起きる[注 2][3][1]。事故後所管大臣として陣頭指揮にあたった山下は、生還した女児の123便搭乗券のコピーを持ち歩き、機会があれば知人に贈っていたという[1]

なんで知人に搭乗券のコピーなんて送ってたんでしょうね?クソキモくないですか〜?

そして事故直前のフライトで同じ機体に乗ってるとか偶然にしてはできすぎてる気がしますよね〜

これが事件だったとして、知ってて乗ったのか?知らずに乗ったのか?

搭乗券配ってる時点で知ってて乗ってるとは思いますが

そしてこの人の周りだけ航空機の事故やら事件やらやたらと多いのがきになりますね〜

ニアミスしすぎと言いますか

この一時間後に大阪へと向かって123便は離陸することになります〜

https://twitter.com/Hzyk35mt/status/1726787638156546195?s=20

ちなみに中曽根内閣の中でも対抗馬の河本派の人だったので在任時は結構悲惨です。

むしろ元々この人を殺すための計画だったんじゃないかと私は疑ってました〜

事故が起きた当時、日航も完全民営化する前の段階で、経営も利益第一主義に走って整備を簡素化していたということなんで、もしかしたらそれに反発した労働組合関係の人たちが、日頃から整備をテキトーにやってたんじゃないかって噂もありますね〜

ただ北原遥子さんの件があるので、意図的にあのタイミングで尾翼が破損するような仕掛けでもしてたんじゃないかと私は思ってます〜

米軍や自衛隊のミサイルで撃ち落としたとか色々な論説がありますが、当時の技術だとミサイルを飛んでる飛行機の尾翼に正確に打ち込むなんてことができるのか甚だ疑問なんで私はあまり信じてないです〜

それなら根本的に尾翼が破損するだけの爆発物を仕掛けた方が確実です〜

それなら航路などを計算して好きなタイミングで爆発させれるのかなと思います〜

つまり私は実行犯として機内に整備に関わったものがいるのではないかと思ってます〜

ざっくりいって自民党が背後にいる自爆テロなんじゃないかと私は思ってます〜無線で起爆できるようにしとけばやれちゃうし、スコーク77で百里基地からファントムが飛ぶこと知ってれば、市街地に行く前に撃墜してくれるだろうし

この考察の問題はなぜ航空機内の犯人と自民党が結託して123便を墜落させたのか?

無線でそもそも起爆できるのか?

当時の自民党の狙いは?

といった点ですね

すこーく77についてはこちらを参照願います〜

もう少し正確に英語らしく発音すれば「スクウォーク・セブン・セブン・x・x」です。 飛行機に搭載されているトランスポンダーという自機をレーダーに映りやすくするための無線装置で4桁の数字をセットするようになっています。 通常、計器飛行ではなく有視界飛行で飛行する飛行機は高度10000フィート(3000メートル)以下を飛行するときは「1200」にセットして飛行します。高度10000フィート以上の場合は「1400」にセットします。これは管制官の指示は必要なく、パイロットが自発的に自機の機影をレーダーに映りやすくするために行います。こうすることにより、万が一、計器飛行で飛行中の他の飛行機に接近してしまったときでもレーダー管制官は有視界飛行の飛行機を見つけやすいため、空中衝突の危険性が低減されます。 また、計器飛行、有視界飛行に関係なく、航空機が緊急事態に陥った場合は、「7700」にセットします。この4桁の数字をセットすることでレーダー室の警報がなり響き、緊急事態の飛行機が自分の管制区域内に存在することが全ての管制官にわかるようになっています。ハイジャックされた時、パイロットは、そ知らふりをして「7700」にセットし、緊急事態を地上に知らせます。 また、「7500」は無線機が故障したときにセットする数字です。計器飛行中に無線機が故障し、管制官と交信できなくなったときは「7500」にセットして、無線交信なしでフライトプラン通りに飛行します。また着陸の時は、計器飛行や有視界飛行に関係なく、管制塔と交信なしで勝手にアプローチしていけば、管制官は他の飛行機に無線で指示を出し、この飛行機に道を譲ってくれるようになっています。 7500、7600,7700の三つを覚えてください。自家用操縦士の試験にも出ますから。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q138705213

長々と書いてきましたが、一番言いたかったことはこちら

アメリカの言いなりでした〜ってことらしいんですよね〜

どう思いますか?

怪しいですね〜

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