概要
生長の家と日本会議のメンバーが重複してる人多い時点で察して欲しいんですけど、クソキモですねー
生長の家(せいちょうのいえ)は、1930年(昭和5年)に谷口雅春が創設した新宗教[1]。 その信仰は、神道・仏教・キリスト教・イスラム教・ユダヤ教等の教えに加え、心理学・哲学などを融合させている。正しい宗教の真理は一つと捉えている。宗教法人格を持つ。
概説
1930年に谷口雅春によって創立された。『宗教年鑑 令和4年版』における国内信者数は、348,119人である[2]。本部は山梨県北杜市[3][4]。
現在の総裁は雅春の娘婿の谷口清超の二男谷口雅宣。2008年10月28日に父清超が89歳で死去したため、立教記念日の2009年3月1日付を以て雅宣が第3代生長の家総裁に就任した。
総本山として龍宮住吉本宮が長崎県西海市に、別格本山として宝蔵神社が京都府宇治市に各々ある。教典として『生命の實相』、『甘露の法雨』、「七つの燈臺の點燈者の神示」などがある。
エコロジー活動への取り組みで知られ、日本において「最も積極的に環境問題に取り組んでいると目される宗教団体」[5]、「エコロジーの実践を中心に据えた教団」[6]と評価する研究者もいる。
保守的な教義を持ち、かつては自由民主党から組織内候補を擁立していたが、1983年から自民党と距離を置くようになり2016年からは明確に自民党への不支持を表明するようになった。またプロライフ・エコロジーの立場から現在も政治への発信は強めている(政治的スペクトル参照)。
沿革
https://ja.wikipedia.org/wiki/生長の家
- 1929年(昭和4年) – 住吉大神より谷口雅春に「今、起て! 今のほかに時はない。今の中に無限があり無尽蔵がある」という神示が下りる。
- 1930年(昭和5年) – 雅春、雑誌『生長の家』創刊。
- 1934年(昭和9年) – 東京に本部創設。
- 1960年(昭和35年) – 生長の家宇治別格本山建立。
- 1964年(昭和39年) – 生長の家政治連合結成。プロライフ(生命尊重)の立場から優生保護法廃止(優生思想への反対・経済的理由での人工妊娠中絶禁止)を訴える。
- 1972年(昭和47年) – 副総裁谷口清超が、電気自動車導入と段階的なガソリン車の禁止を提言。
- 1978年(昭和53年) – 生長の家総本山建立。この時、風力発電装置の設置を検討するが実現に至らず、代わりに大規模な太陽熱温水器を設置。
- 1983年(昭和58年) – 生長の家政治連合活動停止。以降、自民党と生命倫理問題や環境問題で距離を置く。
- 1990年(平成2年) – 本部会館内で使用する大半の紙に再生紙を導入。
- 1999年(平成11年) – 副総裁(当時、現総裁)谷口雅宣が家庭用太陽光発電を推奨。
- 2007年(平成19年) – 国内の全66事業所(関係団体2つを含む)でISO14001の認証を取得。
- 2011年(平成23年) – 脱原発への支持を表明。
- 2013年(平成25年) – 日本初のゼロ・エネルギー・ビルディングである「森の中のオフィス」を竣工、国際本部を移転。
- 2016年(平成28年) – 自由民主党、公明党等への不支持を表明。
講習会・勉強会信徒も含め一般向けの行事として「講習会」が設けられており、全国59教区で隔年開催されている。2015年からは各地で年に数回の「新人のための勉強会」が行われている。
普及誌および組織構成
一般向けの月刊誌(「普及誌」)としては日本教文社で、『いのちの環』、『白鳩』、『日時計24』の3誌を月1回発行、世界聖典普及協会を通して頒布している。機関紙としては『聖使命』、『生長の家』がある。いずれも月1回発行である。
信者組織としては、男性対象組織「相愛会」(1万人)、女性対象組織「白鳩会[7]」(6万人)、12歳~39歳の男女青年組織「青年会」(3千人、誌・組織共に1998年)が基本の3組織とされている。1985年11月21日まで総裁を雅春、白鳩会総裁を谷口輝子、2009年2月28日まで総裁を清超、白鳩会総裁を谷口恵美子が担当していた[8]。
この他に副次的組織として、会社経営者や産業人で構成される「生長の家栄える会」、学校教員や教育関係者で構成される「生長の家教職員会」(生教会)が存在する。なお、かつては生教会と同列的な組織に「新教育者連盟」(新教連)が存在したが、2003年に生長の家側が包括的関係を解消している。
青年会指導下の学生組織としては、生長の家学生会全国総連合や生長の家高校生連盟、生長の家ジュニア友の会が存在している。また、かつては新教育者連盟が運営していた日曜学校的な教育組織である生命学園は、現在では生長の家教職員会の管轄にある。
2017年時点での信徒(聖使命会会員)は459,531人であり、組織会員は2019年1月1日の総裁による挨拶によると約3万7千人である[9]。
世界各国での活動
世界各国での活動は、日系移民の多いブラジルで盛んで、信者数は250万人などと公称、またサンパウロ州、クリチーバ市、サンジョゼ・ド・リオ・プレット市、サンタマリア市、ベレン市、ポルト・アレグレ市、等では「生長の家の日」が制定されていると生長の家は主張しており、実際にサンパウロ州議会で「生長の家の日」が祝われたという報道もある[10]など、日系人を中心に影響力を持っている。
徽章の由来と意義
「生長の家」の徽章は1935年(昭和10年)2月1日制定された[11]。図案は帝展審査員であった山根八春(やまねやつはる)がデザインした[12][11]。テーマは万教融和と中心帰一である[11]。そして全体は太陽・月・星・地球・卍・十字・日の丸を融和させたデザインとする[12]。周りの32の赤の円光は仏の三十二相[12]を、中の白の卍は仏教と太陰を表している[12][11]。中央の緑の八つ星は八方位をまとめた存在として日本を、また十字架としてもキリスト教を表している[11]。そしてこの八つ星の緑は青人草(あおひとぐさ)が繁茂している事を示す[12]。
また生長の家ではこの徽章を太陽の子孫、神の子であるしるしとしている[11]。また日子(ひこ)「彦」、日女(ひめ)「姫」の悟りを開いた三十二相の顕現の兆候を示しているとする[11]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/生長の家
卍ではないですねー
弱向きになってますー
鉤十字ですねー
この徽章ってナチス?
ナチスによる採用
詳細は「国民社会主義ドイツ労働者党#党のシンボル」を参照
卐の描かれたエアハルト旅団のヘルメット ナチスがこのシンボルを採用した経緯は、ドイツの考古学者、ハインリヒ・シュリーマンがトロイの遺跡の中で卐を発見し、卐を古代のインド・ヨーロッパ語族に共通の宗教的シンボルと見なしたためである[2][3]。これに基づき、アーリアン学説のいうアーリア人の象徴として採用したものである。
しかし、元々はエアハルト旅団(コンスルの前身)などドイツの民族主義運動のシンボルとして、また詩的結社グループのゲオルゲ派においても使用されていた。アドルフ・ヒトラーは著書『我が闘争』の中で、支持者からの多くの提案で党旗の最終デザインを選ぶと述べた。ハーケンクロイツは歯科医フリードリヒ・クローンによって提案され、アーリア人優越論のシンボルとされた。一部オカルティストの間では、ルーン文字 S(ᛋ) を重ねて作られたとする説が唱えられている。
ナチ党は赤地の上の白円の中に黒のハーケンクロイツが入ったデザインを使用した。黒、白、赤は帝政時代の国旗に使用されていた色である。ヒトラーは、赤は社会的理念、白は国家主義的理念、ハーケンクロイツはアーリア人種の勝利のために戦う使命を表しているとした。またナチ党は円や背景のないハーケンクロイツも使用した。ナチの鉤十字には2種類が生じた。右回りのものと、その鏡像である。ナチ党は2種類を象徴的に区別しなかったが、右回りのものが一般的に使用された。鉤十字は通常45°回転して描かれた。
ナチスが党のシンボルにハーケンクロイツを採用したことによって、卐は幸運のシンボルからナチスの象徴とみなされるようになった。
ドイツ国旗としての使用
ヒトラー内閣が成立した後の1933年3月5日に総選挙が行われ、ナチ党が勝利した。この後、プロイセンの内相であったヘルマン・ゲーリングは、支配下の公共建造物にハーケンクロイツ旗を掲げさせた。さらに、地方政府の実権をナチス党関係者が掌握する度に、その地方の公共物にハーケンクロイツ旗が掲げられた。こうしてハーケンクロイツを事実上の国旗とする既成事実が作られた。
1933年3月12日の大統領布告で国旗の改正が決まり、黒・白・赤のドイツ帝国旗を暫定的な国旗とし、ハーケンクロイツ旗を国旗に準ずるものと定めた。1935年にはハーケンクロイツ旗が正式なドイツ国国旗となった。第二次世界大戦が勃発すると、連合国側の国々は卐の使用を禁じるようになった(後述)。1945年にドイツは降伏し、ナチ党は解体され消滅した。ハーケンクロイツ旗は国旗として使用されることはなくなった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ハーケンクロイツ#:~:text=鉤十字(かぎじゅうじ,多く使われている%E3%80%82
完全にハーケンクロイツですねー
こんなの掲げてる宗教がまともだとは私は全く思えないんですよー
現在は政治活動から撤退、反安倍反自民らしいですねー、なんでも教義に基づく環境保護活動をしているとかどうとか
https://www.zakzak.co.jp/smp/society/domestic/news/20170222/dms1702221130015-s1.htm
アメリカ従属の日本会議とも決別したらしいですが、それなら鉤十字やめたほうがいいんじゃないかと思いますねー
伝統だから続けてるって感じでしょうかー