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週刊文集が報じた岸田側近木原誠二の妻:郁子の元夫”怪死”事件#1

extinguished thick wax candle with smoke
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週刊文集が報じた一連の事件で再調査へ

2006年4月10日、風俗店勤務の安田種雄さん(享年28)が都内自宅で不審な死を遂げた。

 第一発見者は安田さんの実父。同年4月9日、実父が種雄さんの携帯に電話をかけたがつながらず、折り返しもなかったことから、翌日の午前3時ごろ種雄さんの自宅へ向かったという。自宅玄関の鍵は開いており、実父が中に入ると、室内には変わり果てた種雄さんが横たわっていた。

 20日の会見で、実父は当時の心境をこう振り返った。

「まさかそこで変わり果てた息子を見つけることになるとは思ってもいませんでした。息子は血まみれで、目を見開いたまま倒れていました。血は天井まで飛び散っており、右太ももの2~30センチ先には細長いナイフがきちんと置かれていました」

 当時、種雄さんにはX子さんという妻がいた。X子さんは現在再婚しており、その相手こそ、岸田文雄首相の側近である木原誠二官房副長官なのだ。

 週刊文春はこの事件について3週にわたって詳報。X子さんが種雄さんの事件の重要参考人として警視庁に聴取されていた過去などを報じ、政界の要人である木原氏の存在が捜査に影響を与えたのではないかと追及した。

 週刊文春(7月5日発売号)は、捜査関係者のコメントとして「ナイフを頭上から喉元に向かって刺したと見られ、その傷は肺近くにまで達していた。死因は失血死。さらに安田さんの体内からは致死量の覚せい剤が検出された」という見解を紹介。当時、警察は種雄さんの死は覚せい剤乱用による自殺ではないかという見立てだったという。

 だが、実父は会見で「自分をそんなふうに刺したうえで、足元にナイフをきちんと置いてから絶命するなどということが果たしてあり得るのでしょうか」と懐疑的な見解を述べた。

週刊文春の報道によれば、ある日実父の携帯が鳴り、警視庁大塚署の女性刑事から「息子さんのことで捜査をしている。不審な点が見つかった」との連絡があったという。

 特命捜査対策室特命捜査第1係を中心に30人以上の精鋭が集められ、再捜査が始まったという。

 その後、木原氏と再婚していたX子さんの実家にも18年10月、家宅捜索が行われた。ところが、1カ月後の11月にこの事件に尽力していた刑事が捜査員のメンバーから外され、その後、実父は世田谷署に呼び出され、捜査の縮小を告げられたという。

 実父は会見でこう語った。

「種雄が亡くなった時もまともに捜査されず闇に葬られ、諦めて生きてきました。それが12年後に再捜査していただけると連絡があった時には心から喜びました。種雄の無念を晴らしてやると息子に誓いました。しかし捜査が始まり1カ月も経たないで捜査の縮小が告げられ、捜査班は解散されてしまいました」

 そして、警察への思いを涙を浮かべこう話した。

「警察に対する不信感があり、捜査1課の刑事さんには最初冷たく当たってしまったこともあったのですが、私たち家族の思い以上に親身になってくださり、今では感謝しかない。今月17日付で、大塚警察署長に再捜査を希望する上申書を提出しました。熱い思いで捜査にあたってくれた方々にもう一度仕事をさせてください。再捜査をお願いします」

 週刊文春はこれまで、同事件の捜査に関わった10人超の関係者を取材したという。その過程で、複数の捜査員が「自民党の政治家の家族ということで捜査のハードルは上がり、より慎重になった」と口をそろえたと報じた。

「弟(=種雄さん)が死んだその当時、なかなか捜査をしてもらえなくて。私たちは何の力もない一般人で、何もすることができなくて。ただ諦めるほかなく、弟のことは心にしまったままにしようと決意して、生きてきました。18年に警察の方からご連絡をいただいて、まさか再捜査をしていただくなんて夢にも思ってなくて。捜査にご尽力いただいた警察の方々に、本当に心から感謝しています。残念ながら捜査は1年足らずで終了したんですけど、今になって、こうやって文春さんに報じていただいて。何かの力というか、意思というか、そういうものを感じています」

https://dot.asahi.com/dot/2023072000073.html?page=1

亡くなった安田種雄さんは関東連合に入っていた?

木原誠二は岸田の側近

木原 誠二(きはら せいじ、1970年昭和45年〉6月8日 – )は、日本政治家財務官僚自由民主党所属の衆議院議員(5期)、内閣官房副長官内閣総理大臣補佐官国家安全保障に関する重要政策及び核軍縮・不拡散問題担当)。

外務副大臣第3次安倍第1次改造内閣)、外務大臣政務官第2次安倍内閣)、衆議院内閣委員長などを歴任。

来歴

東京都渋谷区に生まれ、生後9か月から5歳までシカゴに居住。1979年5月にアムステルダムに移り、同年12月、新宿区立戸塚第二小学校へ転入。武蔵中学校・高等学校東京大学法学部を卒業後、大蔵省に入省(証券局企業財務課[1][2]。1995年~97年、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)留学[2]。帰国後、主計局法規課勤務ののち、1999年~2001年 英国大蔵省に派遣[2]。2001年7月 財務省大臣官房文書課長補佐(審査管理)兼大臣官房秘書課長補佐(調査)となり[3][4]、2003年7月からは国際局の課長補佐を2年務めた。2005年7月10日、岩見沢税務署長に転任するも、急遽行われた郵政解散を受け出馬するため8月17日に財務省に復籍のうえ退職[5]

2005年第44回衆議院議員総選挙自由民主党公認で東京20区から出馬し、現職の加藤公一民主党、比例復活)を破り初当選した[6]

2009年第45回衆議院議員総選挙には自民党公認で出馬するも加藤に敗れ、比例復活もならず落選[7]。落選中は、縄文アソシエイツでコンサルタントとして勤務。政策研究大学院大学の研究員に就任。

2012年第46回衆議院議員総選挙に自民党公認で再び出馬し、加藤らを破って当選、国政に復帰した[8]

2013年9月の第2次安倍内閣外務大臣政務官に就任[2]2014年9月に退任する。

2014年12月の第47回衆議院議員総選挙で、民主党の竹田光明らを破り、3選[9]2015年10月、外務副大臣に就任[10]

2017年10月の第48回衆議院議員総選挙で、日本共産党宮本徹(比例復活)らを破り、4選。

2021年10月、内閣官房副長官内閣総理大臣補佐官国家安全保障に関する重要政策担当)に就任(兼務)。

2021年10月の第49回衆議院議員総選挙で、宮本(比例復活)らを破り、5選。

2021年12月、内閣総理大臣補佐官(国家安全保障に関する重要政策担当)を辞任[11]

2023年2月から内閣総理大臣補佐官(国家安全保障に関する重要政策及び核軍縮・不拡散問題担当)を兼務[12]

統一教会との関係

  • 2016年夏、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の関連団体「平和大使協議会」のメンバーが木原の支援団体「誠世会」を発足させた。木原は同団体が開く勉強会に講師として参加し、世界情勢について話をした[22]。これについて木原は、2022年10月28日開催の衆議院内閣委員会で「地元の有権者の方がつくった団体で、年に一回程度開催されていた」と説明した[23]
  • 2016年12月、アジアと日本の平和と安全を守る東京都フォーラム(後に木原はメディアからの指摘で統一教会の関連団体と知る[23])が主催したパネルディスカッション「日本とアジアの平和と安全を守る東京都フォーラム」に出席した[24][25]
  • 2019年9月29日、東久留米市の成美教育文化会館で開かれたシンポジウム「緊迫する東アジア情勢と日本の進路」に参加した。同シンポジウムは「誠世会」が主催し、「西東京平和大使協議会」と「アジアと日本の平和と安全を守る東京都フォーラム」が後援した[22]
  • 2021年、第49回衆議院議員総選挙で木原選挙事務所に世界平和連合から推薦状が届きこれを受領した。このことについて木原は「過去四回の選挙で受領した約一千に及ぶ推薦状のリストを確認したところ、一件、昨年の総選挙の際、世界平和連合から推薦状を受領していた」と述べた[23]
  • 2022年7月28日、公明党の北側一雄中央幹事会長は記者会見で統一教会を「反社会的な団体」と指摘。このことに関連し、木原は翌7月29日、官房副長官として首相官邸で開いた会見で「反社会的勢力という言葉をあらかじめ限定的、統一的に定義することは困難であり、答えを差し控えたい」と述べた[26]
  • 2022年9月8日、自民党は、衆参両院の議長を除く党所属の国会議員379人に統一教会側との関係について書面で報告させた結果を公表した。179人が何らかの接点があったことを明らかにし、一定以上の関係を認めた121人の氏名を公表した[27]。木原は前述の2016年のパネルディスカッションの件を記載せずに提出したため、木原の名は121人の中に含まれていなかった。4日後の9月12日、パネルディスカッションに出席したことを外部から指摘を受け、同日、党に報告。翌13日、会見を開き「記憶を呼び覚ますと、確かに出席をしていた」「党の方へあらためて昨日、追加の報告をした」と述べた[28][29]
  • 2022年10月28日、2021年の衆院選の際に統一教会の関連団体「世界平和連合」の推薦状を受領したことが判明した[30]

その他

  • 2016年時点では喫煙をしており、超党派の愛煙家国会議員からなる議員連盟「もくもく会」にも所属[31]2020年時点では電子たばこに切り替えている[32]
  • 2016年9月、ダッカ・レストラン襲撃人質テロ事件が発生した際には、現地対策本部長を務めた。現地では、犯行現場の視察、ハシナ首相との会談、遺族のサポートなどを行い、出発前の記者会見で「まず現地で情報収集、事実関係の確認に全力を上げたい。救出された方に万全の対応を取りたい。人命第一で、人命優先で、各国と緊密に連携を取る」などと述べ、現地でのハシナ首相との会談[33]では、犠牲者について、「バングラデシュの発展のため、両国の友好のために仕事をしていた」と説明した[34]
  • 2017年9月21日、週刊現代がまとめた特集「現職議員が選んだ「最強の内閣」を発表します ~忖度は一切ありません!~[35]。」では、経済産業大臣候補として挙げられた。記事の中で「外務・財務双方に精通し、諸外国との交渉に長けている」(細田派・衆)、「財務省出身で、英国大蔵省にも出向していた。パリ協定も実務交渉を担当し、能力は確かだ。奇を衒わない実力派」(麻生派・衆)と記された。
  • 岸田文雄の側近として知られ、岸田の党政調会長在任中は政調副会長兼事務局長として議論の取りまとめ役を担った[要出典]
  • 2022年2月24日にロシアがウクライナへの全面侵攻を開始すると[36]安倍晋三元首相は2月27日のフジテレビの番組『日曜報道 THE PRIME』で、NATO加盟国の一部が採用している「核共有(核シェアリング)」について、「日本は核拡散防止条約加盟国で、非核三原則があるが、世界はどのように安全が守られているかという現実について、議論していくことをタブー視してはならない」と述べ、レギュラーコメンテーターの橋下徹と共に核武装に前向きな考えを示した[37][38]。3月17日、自民党の安全保障調査会は勉強会を党本部で開き、核共有を当面採用しない方針をまとめるが[39][40]、3月27日、木原は『日曜報道 THE PRIME』に出演し、「日米同盟を強化する中で、さまざまなオプションを考えていく」と述べ、核共有の議論を否定しない考えを示した[41]
  • 2023年1月、岸田の欧米5カ国訪問に官房副長官として同行。アメリカではぶら下がり取材を受ける岸田の後ろで、木原がズボンのポケットに手を入れながら立つ様子が報じられ、後に歩きながら考える昔からの癖だと釈明した上で謝罪している[42]。また、カナダでは昼食会でジャスティン・トルドー首相の横で、椅子の背もたれに掛け、足を組み岸田のスピーチを聞く様子が見られ、後に「気を付ける」と述べた[43]

親族

政治資金

  • 朝日新聞によると、木原自身が代表を務める政党支部を通して325万円を自身の資金管理団体などに寄付し、税の優遇を受けていたことが指摘された[52]。これについて木原自身は講演会で「浪人時代にサラリーマンとして汗水流して自分で稼いだお金を寄付したものであり、いわゆる現役の政治家が税金から得た議員報酬を寄付して還付を受けたものとは全く性格が異なる」と説明した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/木原誠二

元夫の怪死事件に関与していると思われている木原副官房長官の妻郁子さん

ヤク中との噂も…乱パ中に元夫が死んだのでは?との憶測も立っている。元反社のライター猫組長がこの事件についてかなり調査されているのでこちらの記事でさらに深いところに踏み込んでいる

https://nekopost.theletter.jp/posts/da9bb6c0-283e-11ee-9934-a93ebfc232e5

百田さんも猫組長について言及している。

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